最近よくある二部、三部構成の映画は誰の都合を考えているものか?


WEB4コマ漫画「僕ならこうするね・・・」5TH 

 物事は全て“結論ありき”で行っていると都合のよい理屈ばかりを並べて“勢い”というものを無くしてしまうものです。

 最近では、映画を観ていても前後編に分かれたものや三部構成になっているもの、果ては“完結編”、“復活編”・・・まぁ、これは冗談ですが続けようと思えばいくらでも続けていける状況にあるようです。

 まぁ、このビジネスモデルを否定するものではありませんし、必ずしも1つにまとめて物語を終わらせないといけないという決まりも別に映画にはありません。

 むしろ、海外では漫画のコミックやドラマのDVDも売れなくなったら例え物語の途中でも販売を打ち切るコトもあるそうなので、あまり日本では考えられないビジネスライクな手法の方が驚かされます。

 つか、こんな中途半端な状態で販売中止もありえるなんて購入派は躊躇してしまいますし、モヤモヤします・・・ん?だから、海外の映像メディアの販売価格が安価なのかも知れないな。※まぁ、別の理由もありますが(汗)。

 さて、そんなこんなで個人的には頑張って欲しいと思っている映画業界なのですが、現状では客数の下げ止まりはいつになるやらといった状況のようです。

 二部構成などもそんな客離れに歯止めをかける手法のひとつ(もしくは、引っ張って少しでも儲けるだけ?・笑)なのでしょうが、目的ではなくホームページでのSEOに当たるような単なる手法だというコトは忘れてはいけません。

 映画を二部構成にする場合においても“そうすべき理由”を明確にしないと感覚で楽しんでいる嗜好品や趣味の場合は特に“小手先”だけだと見抜かれてしまいます。

 例えるなら、3D映画がそうです。

 最初は目新しさで“体験”をしにお客さんが足を運びますが、そのうちに“3D”ならではの演出を期待するようになるもので、乱発する“あまり飛び出さない”、“別に飛び出す必要も無い”、“安易に物語と関係の無いところで飛び出す”3D映画が業界のチャンスを自身で摘み取っているように感じます。

 レンタル店の“映画○○・3D-2D版-”なんて見るともう何がしたいのやらって悲しくすらなりますね。

 確かに最初の旨みこそあるものの、手法とは意味のあるものでないと駄目なのでしょう。単に時間が長いだけならバッサリとカットした方がエンターテイメントとして楽しめる場合だってあるはずです。

 映画は小説とは違うやり方で“考える余韻”を適度に盛り込まなければ情報を与えられるだけになり、“どうだ僕の作品は!”なんて感じで全てを解説した考えさせない映画は誰もがうんざりしたものになってしまうコトでしょう。

 もちろん長さが映画を二部構成にした理由であっても構いません。

 しかし、その場合は前編の余韻や気持ちの盛り上がりの維持は難しいというリスクがありますので、どちらにしても1つの作品内で“区切り”は必要となるのではないでしょうか。

 今回の4コマに描いていますが、恋愛映画で選んだヒロインのどちらかで後半の映画がAパターンとBパターンに分かれるとか、SFもので敵地に向かう道の選択で手に入るアイテムの経緯やストーリーが異なり完結編で話が繋がるとか・・・いわゆる並行世界(パラレルワールド)演出は個人的に観てみたい手法の一つです。

 お客様は両方観ても良いし、観たい方だけ見てもよいし。

 でもまぁ、映画となるとつい熱くなっていろいろと考えてしまう僕ですが、結局のところ、どんな手法を使うかよりも作品そのものの質の向上や作り込み、エンターテイメントとしての追求と充実が求めて止まない点なんですけどね。

 ちなみに、たまにある顧客を舐めた自己満足作品だけは許せねぇ(笑)。

 いやはや。。