インターネットで拡大する盗作問題について少し考えてみる。


今後は“著作権”について、もっと向き合うようになってくるはず?Web-STYLE(ウェブスタイル)

 最近、東京オリンピックのエンブレムが盗作なのかと問題視されて話題になっています。

 まぁ、この問題については専門家の方々にお任せするコトにして、当ブログでは別の視点から他人ごとではない“盗作問題”について少しだけ考えてみましょう。

 ポイントは盗作問題では“言われた側”と“言う側”の両方の視点から考える必要があるという点でしょうか。

1)盗作だと言われた側にその意識はあるのか?

 俳句やイラストの受賞作品、論文レポート、マスコットキャラやキャッチコピー、エンブレムやロゴに限らず“盗作問題”は昔から数多くあり、誰が見てもあからさまなものから類似していて疑わしいものまで様々な事例が存在しています。

 また、実際に盗作していても“盗作ではない”と言ってしまうのも自己防衛の心理から理解できなくもないです。

 反対に指摘する側となる人間の心理では模倣や模写に対しては“どこそこが似ていない”、オリジナルのものに対しては“何々に似ている、影響を受けている”という印象を自然に持ってしまうものらしいです。

 しかし、“盗作問題”には個々の判断に委ねられていて共通認識の線引きとなるルールがありません。

 いくら本人がオリジナルだと主張していてもインターネットで世界中と繋がるコトの出来る今、似たアイデアを持っていて“自分に著作権利があるはずだ”と主張される方とも繋がってしまう可能性は十分に考えられます。

 調べてみると著作権利の対象にならない例もネット上には多く紹介されていますが、やはり曖昧なものが多く問題が起こった際に和解できる判断材料までには成り得ないでしょう。

 もちろん正式に手続きして使用する、参照元を公表する等のリスク回避の行為は有効です。

 しかし、100人中100人が“盗作”だと感じるものでも当の本人は“インスパイア”されただけだと本気で思っている…こんな状況下では大問題になるまで気づくはずもなく、リスクマネージメントの意識はこんなところにも課題として広がっています。

 まぁ、初期対応が大切なのは当然ですが、盗作元とされているものを一切見たコトが無いなんて言い切ってしまっていれば、後から「実は…」なんて言えなくなるコトもあるのでしょう。

 そんな時、当事者にはプライドが少し邪魔するかもしれませんが素直に“ありがとう”と“すいません”くらいは言えた方が世間に与える印象は良さそうです。

2)盗作だという側が当人ではないケースが今後は増えてくる?

 痴漢の冤罪詐欺というものがあるそうですが、自分の損得から外れた第三者の正義感優越感による盗作疑惑の盛り上がりはインターネットに限らず課題となってくるでしょう。

 盗作の真偽より、盗作だと言われた時点で企業へのダメージは大きく致命的です。

 更に、ほんの一部の悪意ある第三者が当事者叩きに参加しても許されるという口実を得られれば、どこまで攻撃がエスカレートしていくかは皆さんの周知のところだと思います。

 しかし、TPPにより著作権法の非申告罰化や今回の事件が裁判となり判例がでれば不安要素とも成り兼ねず、今の著作に対する曖昧な共通認識のままでは、お金やライバル貶める目的の悪意ある行為が増加するやもしれません。

 これからの時代は、情報発信をする企業様全てがインターネットを活用して情報を“見ている”と同時に“見られている”という認識を持つコトがリスクマネージメントの意識にも繋がってくるのでしょう。

 悪い言い方をすれば今までは暗黙の了解だった談合や出来レースも世界で通用する程のコネでも持たない限り“強力なコネクション”とは言えない時代になったのかも知れませんね・・・というコトで、今回はこんな感じでどうでしょう?

 いやはや。。

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